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2012年6月7日木曜日

さようならレイ・ブラッドベリ

レイ・ブラッドベリ Ray Bradbury が亡くなりました。享年91。
アメリカのファンタジー、SF作家。新聞でも大きめに扱われていたので、改めてどういう人かを紹介するのはやめておきます。
天寿を全うしたのでしょうけれどやはり悲しい。
どの作品も好きです。
でもベストは
『何かが道をやってくる』(創元SF文庫) Something Wicked This Way Comes (1962) と
『華氏451度』(ハワカワ文庫SF) Fahrenheit 451(1964)。
 

忘れもしません、中学3年生のときに『何かが道をやってくる』を読んだときの感動は。以来、ほんとうに何十回も読みました
こんなお話です(それほどネタばれありません)。






ハロウィーンが近づくある夜、とあるアメリカの田舎町に蒸気オルガンの音楽とともに不思議なカーニバルがやってくる。主人公ウィル・ハロウェイは思春期の少年。お父さんがけっこう年取ってからできた、ただ一人の子供です。このウィルと、ちょっとひねた親友のジム・ナイトシェイドが、カーニバルのサーカス団の恐ろしい秘密に出くわすファンタジー・ホラー。 


恐い。時間と老いというとても深遠な問題に、ローティーンの男の子たちが直面させられます。


そしてあやしく美しい。夜、気球に乗った魔女から屋根の上を追いかけられるシーンは圧巻。 


図書館で働くウィルの老いたお父さんがいい。距離を取りながら思春期の二人をしっかり見守る。でも彼自身も迫り来る老いと格闘している。カーニバルの恐ろしいできごとを通じて、ウィルとのあいだに父子の関係が確認されていきます。 


若返りたい、と大人なら誰もがいだく願望のせつなさとはかなさがテーマです。ローティーンの主人公はもちろんそんなせつなさとはかなさは体験してません。でも「ああ、そういうものがあるのかもしれない」という想像力を獲得して少し大人になっていきます。 




私はアメリカの田舎を舞台にした小説、特に土地が醸し出す雰囲気や、そこに暮らす若者の屈折や複雑な心の襞を描く作品がけっこう好きです。『何かが道をやってくる』は、そういう胸うずくアメリカの青春、とくにローティーンの少年の文学の系譜に属す名作です。マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』に始まって、この小説を経て、スティーヴン・キングの『スタンドバイミー』に続くアメリカ文学のすばらしい系譜だと思います。 


ブラッドベリは何より文が美しい。英語で読むともっといい。幻想的でイメージ喚起力のある文です。




何十回も読むと、若いときには気づかなかったことがいろいろ見えてきます。




ウィルのお父さんは図書館に勤めている。
父子にとってまたジムにとって、図書館に並ぶ書物の世界は田舎町の外の世界に通じる窓です。文学少年だとかガリ勉とかではない二人の少年が自然に図書館に親しんでいる。
ブラッドベリの影響を強く受けているスティーヴン・キングの『IT』(「アイティー」じゃなくて「イット」です)は、地方都市の少年・少女たちの夏休みの体験と、その数十年後の再会を描いた傑作です。


その登場人物の一人、当時有名だった体重200数十キロのプロレスラー「ヘイスタック(乾草の山)・カルホーン」とみんなから呼ばれているおでぶのベン・ハンスコム君も、暖かいガラス張りの渡り廊下がある、町の図書館が大好きです。
実を言うと、わたしはアメリカにあまり興味がなくて、旅行するつもりも当分ないのですが、もしアメリカを旅行する機会があれば、観光地ではない地方都市の図書館を見てまわりたい気がします。
アメリカよりもっと範囲を広げると、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』や、カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』などの「図書館の文学」とでも言ったらいいんでしょうか、『何かが道をやってくる』はそういう系譜に属す作品として見てもいいんじゃないかと思っています。




 それからもうひとつ。
闇のカーニバルは蒸気オルガンの怪しい調べとともに町にやって来ます。蒸気オルガンを英語で「カライアピー」と言うのを中学生の時にこの本で知りました。
「カライアピー」は、古代ギリシアの詩の女神ムーサたちの一人、カッリオペーから来ています。カッリオペーが司るのは叙事詩。
闇のカーニバルは、人を魅惑する音楽で「若さを取り戻したい」と願う人々を罠に誘い込みます。
叙事詩『オデュッセイアー』で、魅惑の歌で船乗りたちを虜にしてしまう魔女セイレーン(「サイレン」の語源です)のように。
セイレーンの歌は、単なる魅惑の歌声ではない。


「(私の歌を)聞いた者は心楽しく知識も増して帰ってゆく。わたしらは、アルゴス、トロイエの両軍が、神々の御旨(みむね)のままに、トロイエの広き野で嘗めた苦難の数々を残らず知っている。また、ものみなを養う大地の上で起こることごとも、みな知っている」(松平千秋訳、岩波文庫)


とセイレーンはオデュッセウスを誘惑します。セイレーンの歌そのものが叙事詩なんですね。


セイレーンの歌は、世界を知りたいという人の欲望に訴えかける。
カーニバルは、若さを取り戻したいという人の欲望に訴えかける。
若さを取り戻す甘美の物語(叙事詩)が、魅力とともに持っている「魔力」。
それをカライアピー(蒸気オルガン=叙事詩の女神)が象徴しています。


『華氏451度』についても書きたかったのですが、すでに十分な長さになっていますので、別の機会にまわします。
レイ・ブラッドベリ氏のご冥福をお祈りします。さようなら。

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