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2012年12月30日日曜日

水餃子

上海の張さんとは家族ぐるみの長いつきあいです。
大学院に留学してきたときに身元保証人になったのがきっかけ。
張さんは帰国して、現在上海大学の先生をしています。
日本にいた頃小さかった娘のユエちゃんは、気立てのいい美しい娘さんに成長してときどき日本に勉強しにやって来ます。

張さんも奥さんも料理が上手だった。
「餃子を作りましたのでどうぞ」
とよく持ってきてくれた。おいしかった。

もともと餃子は好きだったが、張さんに作り方のポイントを教わっておいしく作れるようになった。その辺の中国料理店には負けないと思います。


ポイントは

1. 皮から作る。当たり前ですが味が全然違う。市販の皮で作ったやつには満足できなくなります。
2. ニンニクを入れない
3. 水餃子にする。食べ残したのを翌日焼くのが焼き餃子。本来は餃子は水餃子なのです。もちろん、翌日の焼き餃子もおいしいですけど。
4. 挽肉を使わず、肉の塊を叩いて作る。これは挽肉を買ってきても可ですが、やはり味が違います。

手間暇かかりますが、その見返りは十分以上にあります。
少なくても多くても手間はたいして変わらないので、一度にたくさん作って、一部を茹でずに冷凍しておきます(冷凍したのを茹でる場合の茹で時間は6分)。


最初は大変だと思うかもしれませんが、2,3回作るとコツがわかってそれほど手間に感じなくなる(と思います)。家族でワイワイおしゃべりしながら皮に包んでいく、というのが理想的ですが、わたしは一人の時にも作ります。



中華包丁は指がひと飛び
しそうなくらい切れ味がいい。
餡(あん)の材料を細かく刻みまくるので、わたしは餃子の時にはかならず中華包丁を使います。包丁の重みで切るので、使い慣れるとヘンケルの洋包丁などで切るより力がいらずに楽に切れます。疲れません。

愛用のこね鉢はもう10年以上使っています。大きくてこねやすい。
大きめのボールでもかまいませんが、手がボールに当たって少し大変かも。



水餃子の作り方


《材料(50~60個分)
   皮の材料
強力粉      750cc
薄力粉      250cc
鶏ガラスープ   200cc
塩        大さじ1弱


   餡(あん)の材料
豚バラ肉の塊   300g
キャベツ     1/4玉
干し椎茸     6~7枚
干し貝柱     5~6個
白ネギの青い部分 1本分(あるいはニラ数本)
大根       適量(大きな大根なら1/5本くらい。好みで量を増やすならキャベツを
          減らす)
ザーサイなどの漬け物  刻んで大さじ1(野沢菜可。コクをだすためです)

ゴマ油      大さじ1
紹興酒      大さじ2
醤油       大さじ1.5
オイスター・ソース  大さじ2.5
塩・胡椒       適量

その他、つけだれのショウガ一片、酢・醤油、豆板醤


【前の晩の作業】
一晩戻した椎茸と貝柱
干し椎茸と干し貝柱をそれぞれ水に浸し、冷蔵庫で一晩戻す。
特に干し椎茸は、冷蔵庫で戻すことが大事です。味が俄然おいしくなります。




【皮をつくる】

こね鉢か大きめのボールに強力粉と薄力粉を入れ、塩を振って箸でざっとかき回す。
わたしは強力粉と薄力粉を 3:1 にしていますが、張さんは強力粉だけで作っていました。
薄力粉が増えると軽く柔らかくなって伸ばしやすくなりますが、皮の弾力がなくなり弱くなります。
好みで加減すればいいと思いますが、薄力粉は最大強力粉と同量まで。それ以上は増やせません。

鶏ガラスープを加え、箸でざっとかき回す。
火傷をしないように手を水で濡らしてこね始めます。
水を少量ずつ加えていきます。


練り終わった!
しっかり力を込めて練ります。
「ちょっと固すぎるかな」というぐらいでいい。
ゆるすぎるなと思ったら粉を足してください。
柔らかいと餡(あん)の水分でデレデレになってしまいます。

皮の分量は多すぎてもかまわない。
濡れ布巾で包んで冷蔵庫へ
あまったらテーブルや作業台の粉を拭き取るのに使うと便利。


最終段階では、裂け目をなくすように外側から内側にギュッと押しつけるようにして丸くする。濡らした布巾で包み、冷蔵庫で寝かせます。


【餡(あん)を作る】
皮を寝かせている間に餡を作ります。
刻んだ材料を次々にボールに入れていきます。


キャベツをザク切りにしてさっと茹で、水で冷やす。
水を絞って細かく刻む。
刻み終わったら、額に青筋が出るくらいに力を込めて徹底的に絞る

豚バラ肉の塊を細かく刻む。
売っている挽肉ほど細かくしなくても良い。わたしは冷凍しておいて半解凍の状態で刻みます。その方が楽ちん。

長ネギの葉の部分(またはニラ)、ザーサイなどの漬け物も細かく刻む。

水で戻した干し椎茸、干し貝柱も細かく刻みますが、ボールに入れるときに絞りすぎないようにする。旨味を残すためです。戻し汁は捨てないで、わかめスープなどに使う。

大根は細かい千切りにしたあと、1cm ほどの長さに切る。完全な小間切れにしないわけです。



ゴマ油・紹興酒・醤油・オイスター・ソースを加え、塩胡椒を振る。
粘りとツヤが出るようにしっかり手で練る


餡の味つけはこれでなくては、というものじゃありません。甜麺醤(てんめんじゃん)を使ってもおいしい。干し貝柱の代わりに干しエビでもいいし、生の小エビやスルメを刻んで加えてもおいしい。夏には青じそをたくさん入れる。しっかりした味つけで、しかしニンニクは入れない。これが上品な餡の基本です。


【餃子を包む】
1. 寝かせておいた皮を取りだして棒状に伸ばし、太鼓みたいな形に切っていく。大きさがわからなければ、一つ切って伸ばしてみて見当をつけます。

2. 打ち粉(強力粉を使う)をまぶして麺棒で伸ばす。麺棒にも打ち粉をつけます。
市販の皮より厚め。たいていのレシピには「縁の部分を薄くすると良い」と書いてありますが(そしてそれは正しいのですが)、それほど気にすることはありません。
きれいな丸にならなくても大丈夫です。
弾力がある皮なので、包むときに引っ張ってある程度形を変えられます。

わたしはきれいに拭いたテーブルの上で直に伸ばしています。まな板より大きくてやりやすい。終わったあとは打ち粉だらけになりますが、あまった皮で集めるようにするときれいにとれます。

伸ばした皮は片面に打ち粉をつけて並べていく。



3. 包む。
(右利きの場合)左手に皮(打ち粉がついていない方が上)を置き、上半分に小匙で餡をすくって半月状に置く。これもきれいな半月状にこだわらなくてかまわない。

(右利きの場合)右側から折り返して包んでいくとやりやすい。部屋がよほど乾燥している場合は別ですが、粘りけのある皮なので水をつける必要はないと思います。


わたしは襞(ひだ)を作ってしまうのですが、中国人は襞をつけないそうです。大事なのは 継ぎ目を指でしっかりつまんで閉じること。水餃子ですからこの点が肝です。

大皿にクッキングシートを敷き、餃子どおしがくっつかないように打ち粉をつけて並べる。

包み終わる少し前に、大鍋で湯を沸かし始めておく。

食べきれないなと思ったら、冷凍保存しておく分をジップロックに並べて入れ、蓋をして冷凍庫に入れる。でも、翌日の焼き餃子も楽しみですから、多めに茹でることをお勧めします。

【茹でる】
熱湯に餃子を入れ、5分茹でる。
最初は鍋底に沈んでいるので、網ザル(と言うんでしょうか? すくい上げる網のお玉状のやつです)などでそっと動かしてやる。鍋底にくっつかないようにするためです。くっつくとすくい上げるときに穴があいてしまう。
だんだん浮かび上がってきます。

茹でている間につけだれ用のショウガ1片を針ショウガに切ります。

茹で上がったらザルに取って完成。


餡にしっかり味がついているので、タレは醤油控えめの酢醤油がお勧め。わたしは「千鳥酢」に「かめびし醤油」を数滴垂らすのが好きです。
ショウガを入れる。辛みが欲しい人は、ラー油よりも豆板醤がおすすめ。XO醤もなかなかよい。




















2012年12月25日火曜日

クリスマスの残りのチキン・グラタン

 毎年クリスマス・イヴには吉祥寺のハモニカ横町にある「ポヨ」という店で買ってきたロースト・チキンを食べます。お腹にローズマリーを入れた丸焼きです。

 昨日食べきれなくて残りました。
で、それを処理するためにホウレン草とグラタンにしました。
今夜は二人なので二人前。
きっとクリスマス・イヴに腿肉は食べてしまうと思うので、腿肉以外の部分を使います。
その方がしつこくなくておいしい。
鶏とホウレン草の量は適当でいいです。


鶏肉とホウレン草のグラタン(クリスマスの翌日バージョン)の作り方


【材料(二人前)】
昨日のロースト・チキンの残りです。
皮はたくさん入れない方がいいかな。
ロースト・チキンの残り(適量)
ホウレン草(適量)
椎茸       4枚

薄力粉  60cc
牛乳   500cc(加減してください)
チーズ(パルミジャーノなどコクのあるもの) 大さじ3杯
EVオリーブオイル   適量
バター       適量

塩・胡椒




【作り方】
(1) ホワイトソースを作る
今日は牛乳がちょっと足りなかった。
鍋にオリーブオイルを入れ、小麦粉にしっかり火を通します。わたしはホワイトソース(ベシャメルソース)にバターは使いません。地中海式です。バターを使うよりこの方が軽く仕上がって好きです。

牛乳を少しずつ加えて、ダマにならないように混ぜていく。柔らかめのソースにした方が良いと思います。お好みでガラスープの素か塩を少々加える。

最後に細かく刻んだチーズを入れて溶かします。今日は、パルミジャーノにちょっと似た「トレンティン・グラナ」というイタリアのチーズを使いました。


(2) 野菜を炒める
ホウレン草はさっと茹でてざるに取り、水であら熱を取ってザク切りにする。
軽く絞る。椎茸は石づきを取って粗く切る。


フライパンにバターを溶かし、まず椎茸を炒めます。しっかり目に塩胡椒で味をつける。
できれば胡椒は、ブラック・ペッパーをミルで挽いた方がおいしい。
ホウレン草を入れて「混ざったかな」という程度で火を止める。




(3) オーブンで焼く
耐熱容器にペーパータオルでオリーブオイルを塗る。
底が鶏肉。手で適当にちぎって並べます。
その上に椎茸とホウレン草を敷きます。
一番上がホワイトソース。

オーブンで25分を目安に焼きます。

うちは3月に引っ越してきて、電気オーブンしかありません。
それで210°で25分。料理には断然ガス・オーブンの方がいいのですが、それだと温度はやや低めかな。

のぞいてみて表面に焦げ目がところどころついたらオーケーです。

フランスパン、白ワインとともにいただきます。
おいしいサラダがあれば最高。

2012年12月14日金曜日

澁澤龍彦・伊丹十三・東海林さだお

♩♫ スタイル スタイル スタイルがす・べ・て ♪


「ものを考える」というとき、何を考えるかという内容が大事にされるように思う。
何を考えるかも大事なんだが、
どう考えるかというスタイルはかなり大事だと思う。

スタイルとは要するに文体です。「口調」だと乱暴に言い換えてもいい。
ブログを始めたのも、研究者としての自分の文体を一度壊してみて、そこから研究者の文体を作り直してみようかと思ったのがきっかけです。


文体は歴史の産物です。
反発するにしろ、守ろうとするにしろ、
伝統の上に今の文体は成立している。


わたしは 1954 年生まれ。
ごらんのとおり情けないスタイルでしか書けない物書きですが、それでも自分の年代が受けてきたスタイルの歴史を負っています。



今日はその歴史をちょっと振り返ってみたい。
世代に縛られている点は当然あります。
わたしより年配で、ネットを使える先達にはぜひ勘違いを正して欲しいと思います。



どの世代でもそうだと思うのですが、わたしは一世代前のスタイルに反発・違和感を感じていました。
「一世代前」というより「一世代前の世代がモデルとしていたようなスタイル」と言った方が正確かもしれません。

小林秀雄のスタイルだと思います。
小林秀雄、洞察力のある人です。
その気合いのあらわれみたいなスタイルが苦手でした。

重いよ。

その重さもまた、小林秀雄より前の世代の歴史を背負ってたんだと思います。
だから小林秀雄を責める気はない。

そういう「重さの伝統」から解放してくれた人たちがいたと思う。


澁澤龍彦と伊丹十三と東海林さだお。


他にもいたんだと思いますが、3人ともそこそこ「売れていた」ことが大事です。
影響力があった。



澁澤龍彦についてはいつか詳しく書かなくてはと思っていますが、とりあえずスタイルの点で言えば、
「かわいらしい文体」
があり得るのだ、ということを示してくれた点が澁澤の意義だと思います。

「えっ、澁澤龍彦の文体がかわいらしい?」とおっしゃる方はいると思う。
でも、小林秀雄や同世代の三島由紀夫の重さからの遠さはあきらかにあるでしょ?
ほんとに不思議な文体。
受験英語の弊害の典型として言われることが多い、関係代名詞を「〜するところの」という訳し方、それを澁澤龍彦は平気で使う。にもかかわらず堅苦しくなくちゃんと読める。

スタイルがそうだということは生き方もそうだったということです。
わたしの澁澤龍彦評価は、男にもかわいらしい生き方が可能だということを示してくれたことです。



伊丹十三。
『女たちよ』は本人は否定したい著書だったようです。「こだわり」の本ですからね。
伊丹十三はこだわりから自由になろうとしていた人でした。
しかしわたしは伊丹十三から「明るい知識人」というのがあるんだということを学びました(林達夫も明るい知識人でしたが、スタイルでその明るさを爆発させることはありませんでした)。その功績は大。



そして東海林さだお。
この人、戦後文体史の上でもっと評価されるべき人だと思います。


わたしはこの人の漫画は好きではない。でも椎名誠の文体の先達だと思います。そして椎名誠の男臭さがない。「おばさんの文体」です。

おばさんがおばさん的話題を書くのは別に目新しくない。
男がおばさんになったっていいんだ、ということを東海林さだおは示してくれたと思います。これにつけ加えるなら橋本治でしょうが。



三人に共通する点は何かと言えば「男らしさからの遠さ」ということだと思います。



わたしの見るところ、人文系で最先端を突っ走っている鹿島茂と内田樹も、
その文体の軽やかさはこういう人たちの伝統を引き継いでいるんじゃなかろうかと思います。










2012年12月11日火曜日

ナイフとフォークを使ったご飯の食べ方

山中教授がノーベル賞を受賞した姿が報道されている。
長身で姿勢のよい山中さんは燕尾服がさまになっていて、同じ日本人としてちょっと誇らしい気持ちになる。

今日書きたいのは、ノーベル賞受賞の晩餐の話。

カール・ジェラッシ(中森道夫訳)『ノーベル賞への後ろめたい道』(講談社 2001年)
は、ノーベル賞候補者たちのすったもんだを描く良質の知的エンターテインメント小説だ(残念ながら現在絶版)。

なにしろ著者のジェラッシ自身がノーベル賞候補者だったし、選考委員でもあったらしいから、ノーベル賞の内幕の描写はとてもリアリティがある。
その中で主人公のアメリカ人の青年がノーベル賞を受賞して、スウェーデン王家と同じテーブルで晩餐をいただくシーンがある。


そこで彼は、フォークとナイフのアメリカ流の使い方を、スウェーデン王妃に面白がられる。高貴な王妃はあからさまに冷やかしたりはしない。

でも、王妃は「アメリカ流のフォークとナイフの使い方はヨーロッパ流と較べると合理的ではない」と冗談めかして言う。


わたしはセレブにはほど遠いがさつ者だが、前々から
ナイフとフォークで米を食べるやり方に(というか、日本でのその紹介のされ方に)
疑問を持っていた。



フォークの背に米をナイフで載せて食べる。


これを昨今、
「そんなことをするのは日本人だけだ。ハワイでそうやっていたら『なんでそんなめんどくさいことをするんだ』と笑われた」
というようなことを言う人がかなりいる。
あたかもフォークの背に米を載せて食べることが、日本独自の「奇習」であるかのように。


そーか?


大体マナーの基準をハワイに求めるのが変だと思う(ハワイの人、失礼)。
京料理のマナーの基準を奄美大島に求めるようなものだ(奄美大島の人、失礼)。


言っておくが、わたしは「マナーのためのマナー」はどうでもいいと思っている。
「米はフォークの背に載せて食べなければなりませんことよ」
という言いぐさへの反発はわかるつもりである。


マナーを尊重しなければならないとすれば、
それは上の小説でスウェーデン王妃が言ったように、
「合理的で無駄がない」
からだと思う。
無駄がないから、食事が楽しくなり、会話も弾む。

テーブルマナーとはそういうものだと思う。


洋食は左手にフォークを持ち、右手にナイフを持つ。
いちばんスピーディーに食べられるからだ。
口に入れやすい大きさに切ることもできるし、ソースを伸ばすのも簡単。
わたしは「レストラン」ではない町の「洋食屋」でもかならずフォークとナイフを要求する。箸で食べるより便利だし、早く食事を済ませられるからだ。

米をフォークですくって食べると、フォークを右手に持ち替えると思う。
無駄な動きだ。

慣れればナイフでフォークの背に乗っける方が断然早い。

第一、欧米では米はつけ合わせの野菜の一つとして出てくることが多い。
ニンジンをフォークですくって食べるのはみっともないでしょう。
米だけなぜ食べ方を変えるのか解せない。


実際、わたしが滞在していたイギリスでは、
ディナーの時にはみなフォークの背に米を乗せて食べていた。
「日本だけの奇習」どころではなく、正式の食べ方だ。

フォークですくうカナダやハワイの食べ方はあくまでカジュアルな食べ方だということです。


それが別にいけないとは言わない。食事は楽しいのがいちばんなんだから。
しかし、フォークの背で食べる食べ方を「日本人だけがやっている奇習」としたり顔で言うのは見識を疑われるんじゃないでしょうか。
(J-Wabe「グルーヴライン」のピストン西沢、好きなんですが、これを言っていた点はマイナスだな)
正式で合理的な食べ方ですよ。