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2014年3月16日日曜日

『THE 鉄腕 DASH』と『S 最後の警官』

だらけてワインを飲みながらテレビを見ました。

まずは『THE 鉄腕 DASH』3時間スペシャル。
ちょっとした自慢 (?) は、この番組、深夜枠だった最初から見ていること。
これを見てそれまでたいして気にもしてなかった TOKIO のファンになった。

「ああ、日本は階級社会になったのだな」
と TOKIO を見て思いました。

この人たちは自然に「労働者階級」だと思いました。
SMAPは違う。社会の階段を上っていこうとする上昇志向が見えます。
TOKIOはSMAPを横目で見ながら、自分たちは SMAP にはなれないと腹をくくった気がします。そこから自分たちが生きのびていく方向を探っていった結果が
「俺たち、労働者でいいじゃん」というスタンスだと思います。


TOKIO には労働者階級の最良の部分があらわれています。

第一に、肩肘張らないほんとうにリラックスした人との接し方。
(2世代後の「嵐」もリラックスしているけれど「高校生の同級生どおしのリラックスの仕方」みたいなものであって、TOKIO の労働者の匂いがない。「嵐」は、TOKIO とちがって、価値観や世代が違う人たちとの接し方があまり得意でない気がします)

『THE 鉄腕 DASH』はそういう TOKIO のすばらしさが出ている。
感心したのは、ハワイで2,3のグループに分かれてお互いに出会う(だったかな? 記憶は曖昧)企画。
地元の人に道を聞かなくてはならない。英語ができないので、スタッフが通訳していたような記憶がある。

でも、相手が道を教えてくれたあと、みんなカタカナ英語でためらわずに「サンキュー!」と言っていた。

発音なんか気にせずに、感謝の気持ちを伝えたいというのがストレートに出ていた。
できそうでなかなかできないことだと思います。

SMAP の英語はネイティブ・スピーカーと同等に語り合おうとがんばっているのが痛々しい。
がんばっているのだけれど、音に敏感なミュージシャンであるはずなのに、英語と日本語の「発声の違い」といういちばんの基本に気づいていないから、頭と口と舌でいくら「発音」を訓練してもなかなか通じない。
(くだくだ書くのはよしますが、英語と発声の仕方が違う日本人は、「発音」を支える英語の「発声」を体で訓練しなければ、いくら「発音」を訓練してもなかなか通じません。そういう「発声」を教えてくれるのがいい英語学校です)

TOKIOはSMAPみたいにがんばっていない。「サンキュー」くらいは発音が悪くたって通じるに決まってるじゃないか。そういう確信がすがすがしかった。



第2に、「知の世界」へのやわらかで偏見のない姿勢。

舌を巻いたのは「宝石を探そう」という企画。
日本の山に入って宝石の原石を採掘するという企画なんですが、
鉱物学者の指導のもとに鉱物図鑑を手に鉱床を探す。

城島君が「先生、これじゃないですか?」と図鑑をもとに言い当てる。
当たってるんです!
柔軟な観察力と応用力。並の大学生には太刀打ちできない「柔らかな知性」がある。
労働者って実はそういう「柔らかな知性」を持ってる人が少なくない。

最近の企画「DASH海岸」にもその柔らかな知性がいかんなく発揮されています。
指導してる大学の先生もうれしくてしょうがないんじゃないだろうか。
こんなに柔軟で、しかも体を動かして工夫する学生はそうそういるもんじゃないから。

学者とは違う種類の「職人の知」というものもあります。そういう意味では職人は単なる労働者ではない。そういう「職人の知」にも、TOKIO は素直に驚き、賛嘆します。

知は体と結びついたとき楽しい。すぐれた労働者と職人と学者が、たがいに肩肘張らずに「知」の交流をするとき、きっと「楽しい社会」が生まれるんだろう。
『THE 鉄腕 DASH』はそれを伝えてくれます。
今日の「DASH島」もそうだった。





『相棒』はレベルが高い、と何度か書いてきました。
レベルの高さをそれなりに説明してきたつもりなんですが、今日は他のドラマとの「比較」という視点から説明します。


連れ合いが刑事物のたぐいが大好きで、「まーこんなつまらんものまでよく観てるな」と思うくらい観ています。

今日は『S 最後の警官』最終話。

笑っちゃう脚本。
クライマックスで、主人公のNPSの隊員が、
「銃は使わない。俺はこぶしひとつで勝負してきた。それは仲間がいるからなんだ!」
と言って犯人に殴りかかる。

すでに相手に見得を切っている段階でお粗末。
「ドアを開けて『やあ、諸君』などと言う人間は長生きできない」
というアリステア・マクリーンをまず読んで欲しい。

次に「俺はこぶしひとつで勝負してきた」というわりに、殴りかかる殴り方がお粗末。
バックモーションをつけた殴り方(えーーっと、乱暴に言うと「肘をいったん後ろに引いてから殴る殴り方」です)は相手に見切られるので避けるのが武道の初歩の初歩です。あんな殴り方をして当たるわけがない。
「武道家じゃない人間にそんなことわからないじゃないか」と思ったあなた。
ジャッキー・チェンの映画のアクションってすごいって直感的に感じるでしょう?
ジャッキー・チェンはいっさいバックモーションをつけていないのです。武道を知らない人間だってその違いに直感的に気づくから「ジャッキー・チェンってすごい!」と感じるんだと思います。

さらに、
殴られた犯人が手榴弾のピンを抜いて転がす。
主人公ははっと息をのんでから手榴弾に向かっていきます。
訓練を受けたNPSに「はっと息をのむ」間なんてあり得ません。
わたしは一応武道家のはしくれなので、10秒近くあるその間の長さに笑ってしまいました。

「はっとする」のは自然な反応です。しかし武道とは、驚きや恐怖などの「自然な反応」をいかに制御し、機械のように反応するかを鍛錬するものです。
たいした武道家ではないわたしだって、手榴弾を転がされたらはっとなんかせずに即座に体で反応すると思う(間に合うかどうかは別の話。でも間に合うか合わないかは考えずに体は動かすと思う)。ましてや訓練された NPS がはっとして数秒以上間を置くなんてあり得ない。

凡百の「紋切り型のドラマ」ってこういうもんなんだなと思いました。
リアリティがない。刑事物ファンの連れ合いでさえこの場面にはあきれてました。

こういうのを観ると『相棒』のレベルの高さがあらためてわかります。
というか、他のドラマ、レベルが低すぎるよ。










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