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2014年9月10日水曜日

2014夏・ギリシア(その3)

「その2」から間が空いてしまったのは、
「その2」を投稿した直後に40度近い高熱が出て、解熱剤を飲んでも下がらず再診療をした結果、右脚の「丹毒」(細菌感染)。

「筋肉まで菌が入ったら大ごとですよ」
と脅され(?)、仕事を休んでずっと抗生物質の点滴を受けることに。
体が細菌と闘っているのと、抗生物質漬けのせいでしょうか、
ぐったり疲れて頭も働きませんでした。
続いていた微熱がようやく下がり、一時はドラえもんみたいに膨らんでいた脚もようやく腫れが引いたのですが、しばらくは安静にして運動も控えた方がよいようです。

というわけで中断をはさんだギリシア旅行記の再開。



デルフィー考古学博物館
にある臍石(へそいし)
デルフィー(デルポイ)は、古代ギリシアで世界の臍(へそ)=中心であると考えられていた聖地です。急峻な岩山を背後に、アポロン神殿を中心にした遺跡が広がり、岩山の反対側には深い谷と、さらに谷の先にはコリントス湾が見えます。
    (「その2」に書いたように、固有名詞の後ろに似た音の
    (  )がある場合(  )が古代ギリシア語です)

遺跡の眼下に広がる谷とコリントス湾
いかにも「神アポロンの聖地」という厳かな雰囲気のある場所です。

ギリシア各地から多くの人々が、神アポロンの巫女ピュティアの神託(お告げ)を求めてこの地を訪れました。


4泊5日の旅程にアテネ以外の場所を入れるとするとやはりデルフィーでしょう(スーニオン岬も候補かもしれませんがポセイドン神殿に入れない)。


アテネからデルフィーへの日帰り観光ツアーもありますが、わたしたちはじっくり時間をかけて見たかったので一泊旅行にしました。



デルフィーの町
「遺跡以外に見るべきものはない」みたいなことを書いているガイドブックもありますが、そんなことはない。崖の中腹にあるデルフィーの町自体がきれいだし、景色がいい。もっと時間があればデルフィーの手前にある美しいアラホバの町に泊まってもよい(その場合、遺跡まで歩くのは無理なのでタクシーを使うことになります)。

デルフィーに行くにはアテネのリオシオン・バスターミナルから長距離バスに乗るのですが、このバスターミナルがアテネの中心から離れていてたどり着くのが簡単じゃない(と言われているし、そう思ってた)。

若いとき、スーツケースを汗だくになって長時間ころがしてようやく見つけた記憶がありますし、『地球の歩き方』(ギリシアに関してはちょっと情報が古い)の説明もはかばかしくない。

しかし地図で見る限り、国立考古学博物館を午前中全部使って見学し、そこから地下鉄でバスターミナル近くまで行けそうです。そしたら夕方にデルフィーの町についてゆっくり夕食とショッピングを楽しむことができる。


行き方は後述しますが、実際には
地下鉄を使って意外に簡単にリオシオン・バスターミナルにたどり着けました



8月18日 アテネ国立考古学博物館〜デルフィーの町へ



朝「アレトゥーサ」をチェックアウト後、スーツケースを預かってもらい、デルフィーでの一泊分の軽い荷物を持って出発。

夏のギリシア旅行必携のミネラルウォーターを買って地下鉄シンタグマ駅へ。


アテネの地下鉄はわかりやすくて3本の路線しかない。
の色分けがされていて乗り換えも色をたどれば簡単です。
(電車そのものが色分けされてるわけじゃないです。色分けは駅の案内板と路線図の話)

今日使うのはアテネ中心部から北に向かう
シンタグマには通ってないのですが、の地下鉄(空港と反対方向行き)に乗ってひと駅先のモナスティラキで(ピレウスと反対のキフィシア方面行き)に乗り換え。ふたつ目のヴィクトリア駅で降りて国立考古学博物館へ(徒歩5分くらい)。

国立考古学博物館入り口
国立考古学博物館は、先史時代からミュケナイ文化、ミノア文化、アルカイック期、古典期、ヘレニズム、ローマ時代までの名品揃いの大規模な博物館なので、
ちゃんと見ようと思うとけっこう時間が必要です。
初めての土地で当然疲れ気味の妻と娘を、早足で引っ張り回したくなかったので、
途中休憩を入れ、じっくり見てたくさん写真を撮ってほぼ午前中を費やしました。

クーロス像と女の子
展示はほぼ時代順に構成されています。
(一筆書きのような順路ではなく、いったん出入り口までもどってまた入るという形なので
入場の半券をなくさないように! トイレに行っても半券を機械にタッチしてふたたび入場します)


これは別のクーロス像
左のクーロス像背面。
みごと!

わたしはアルカイック期と古典期(世間一般で言う「古代ギリシア」はこの二つの時代です)の文学を研究しているので、その時代のものに関心が向かいがちです。
アルカイック期のコレー(乙女)やクーロス(若者)像だとか、
古典期の有名なポセイドン像だとかはやはり何度見てもすばらしいなと思う。



でも今回は時間がたっぷりあったので、ほかの時代のものもじっくり見ました。
先史時代の土器だとか、
古典期よりあとのヘレニズム時代、ローマ時代のものだとか。

どれもいい。
古典期の完成形
ポセイドン像

左写真は先史時代キュクラデス文明(紀元前3000~2000年期)の土の小さな器。
背中に格子柄の文様が描いてあるので娘は「アルマジロじゃないか」と言ったのですが、説明にはハリネズミらしいとあります。
念のためあとで調べたら、やはり古代地中海にアルマジロはいない。




ヘレニズム時代の彫刻もかなりいいと思いはじめました。
古典期の「調和と均衡」の完成形を経たあと、
やはりあたらしいことをやろうとすると
ウネウネした動きのある線だとか、形のデフォルメに進みたくなるのでしょうか。
ルネサンスのあとのマニエリスムやバロックと共通するものを感じます。


左はいたずら者のパーンをサンダルで打とうとする女神アプロディーテー。

右はディオニューソス像。古典期とは違う、少し退廃を漂わせる美しさがあります。かなり好きになりました。




セイレン
海の怪物トリトネス
セイレン(人間を虜にする魔力の歌姫。消防車の「サイレン」の語源)や
グリフォン、ゴルゴン、海の怪物など、オリュンポス(光の世界)の神々とはちがう異界(闇の世界)の神々も、あやしい魅力があります。









リクガメ
カフェのある中庭
ここまで見たところでくたびれたので博物館中庭に面したカフェで休憩。
木々の緑で涼しい中庭にはいろんな鳥がいます。
リクガメもいる!

ここでレモンパイとバクラバ(蜂蜜をたっぷりつかったギリシアのお菓子)を食べてのんびり。

中庭のまわりの回廊にもヘレニズム、ローマ時代の彫刻やモザイクが展示されています。

酒神ディオニュソスのモチーフを周囲にあしらった豪華な棺桶がなかなかよい。埋葬された人は酒飲みだったんだろうか。

休憩後、まだまわっていないテラ島の壁画その他の部屋もゆっくり見て、ビクトリア駅に向かい、緑の地下鉄キフィシア方面行きに乗ります。



デルフィー行きのバスが出るリオシオン・バスターミナルへの行き方ですが、
娘がiphoneでグーグル・マップを見たところ、
の地下鉄のアヨス・ニコラオス駅とひとつ先のカト・パティシア駅からほぼ等距離にあります。
わたしたちはアヨス・ニコラオス駅(ΑΓΙΟΣ ΝΙΚΟΛΑΟΥ)で降りることにして、駅出口から西に数ブロック進みました。
(駅名をギリシア語で書いたのは、「アヨス(男性形)」「アヤ(ΑΓΙΑ 女性形)」が英語の「Saint(聖)」に当たり、駅名のローマ字表記が St.Nicolaos だった気がするからです。駅名を混乱して降りそこなわないように一応書いておきました)

このとき、アテネ中心から(オモニア駅から)やってくると反対の東出口に出てしまいます。そうするとこの辺は線路が地上を走っているので、線路を越えるために少し回り道しなければなりません(わたしたちの失敗)。
駅構内で反対側の西ホームに移動してから外に出るのが賢明です。

駅前から西に向かうセラフィ通り (ΟΔΟΣ ΣΕΡΑΦΙ) を数ブロック進むとトロリーバスが走っている大きめの道に当たります。
これがリオシオン通り。ここを右折して北上します。
(右折した角の景色もしくは通りの名前を覚えておかないと帰りが不安かも)
駅から10分ほどで着くはずなのにターミナルが見えなくて不安になりかけたあたりで、
美男美女のカップルが歩道にパイプ椅子を出して腰掛けていました。

「バスターミナルはどこ?」
と尋ねると、美女が
「どこに行きたいのだ」
「デルフィーだ」。
美男と数秒話し合って、
「デルフォイなら右(デクシア)だ」と教えてくれました。

彼女はギリシア語で話していた記憶があるのですが、
はっきり「デルフォイ」と言いました。現代ギリシア語の「デルフィー」ではなくて。
高等教育を受けた人なんだろうか。それとも現代ギリシアでも「デルフォイ」と古代風に発音することがあるのだろうか。

ともかく言われたとおりに最初の角を右に曲がるとすぐにバスターミナルがありました。
リオシオン通りの右側を歩いて行くと黄色いタクシーが並んでいるタクシー会社が二つくらいあって、そのほんの先に美男美女がすわっていました。
駅から歩いて10分くらいかな。


ホテルの名前「エラト」は
ギリシア神話の音楽の女神
もっと近道もあるのでしょうが、
上の行き方が迷わない気がします。


長距離バスに乗ってデルフィーへ。
約3時間の道のりで、途中、トイレ休憩で10分ほど「エラト」というひなびたホテルに停車します。
ホテルのカウンターで軽食や飲み物を買ってる乗客も多い。

そのあとはパルナッソスの山塊を抜ける山道。
石灰岩の岩山が迫力あります。
(写真は帰り道で撮ったもの。行きは窓際の客がカーテンを閉めていたので写真が撮れませんでした)

夕方、デルフィーに到着。
まだ日は高く日差しが強い。


デルフィーの階段通路

デルフィーは山腹の斜面に張りついたような小さな町です。

数本の通りには当然高度差があって、その間を階段の通路がつないでいます。
階段通路はどれも可愛らしく美しい。

わたしたちが泊まった「ホテルアクロポリ」は、いちばん低い通りの崖側にあります。
だから視界を遮る建物がなく、谷間とその先のコリントス湾に面したイテアの町まで見晴らせます。


通りの高さのロビーと食堂が最上階で、客室は急斜面に建った建物の下にあります。
このホテル、K先生のツアーで泊まったことがある。

清潔で雰囲気のある部屋、ベランダからの眺望が最高(左写真)。

ベランダの真下にはホテルの小さな菜園があって、ウリやカボチャがなっていました。

荷解きをしてくつろいだあとで、まず明日の帰りのバスの切符を購入。ホテルの人が「ハイシーズンなので今日のうちに買っておいた方が安全だ」とアドバイスしてくれたのです。バス停近くのカフェで切符を扱ってます。
席が取れたのでのんびりデルフィーの町を散策。典型的なギリシアの田舎の家並みです。

こじんまりした家はそれぞれ塗装や飾りなどに適度にこだわっている。
階段通路にはベンチを置いているものもあって、見下ろすと家並みの先に町の向かいの崖が見える。

デルフィーは観光地ですがたいしたものは売ってません。
軒を連ねる土産物屋は、アテネでも買えるTシャツ、安っぽいギリシア神話のミニチュア像などを並べてます。それはそれでキッチュな楽しさがありますが。



ただ、娘が買った白いコットンブラウス(でいいのでしょうか、縮緬の生地で提灯袖のかぶって着るやつ)は良かった。
青い糸で刺繍がしてあり、同じものがアテネのプラカ(旧市街)にも売ってたのですが、
何種類かある中からデルフィーの土産物屋の兄さんは
「これはデルフィーの柄だ」
と一枚を勧めてくれました。

刺繍のデザインがアテネとかデルフィーとかコリントスとか土地ごとに違う伝統柄のブラウスなのです。土産物屋の兄さんのおかげで知った豆知識。


それから、蜂蜜はおすすめ
ギリシアの蜂蜜はどこでも濃厚でおいしい(日本の蜂蜜が水みたいに思えます)のですが、わたしはこれまでデルフィーで蜂蜜を買っていました。
タイムなどの香草の花から取った蜂蜜はそれはそれはおいしかった。
(きっとほかの地方にもおいしい蜂蜜はあると思いますが)
今回は身軽に動きたいのと、アテネでチューブ入りの蜂蜜が手に入るとの情報もあったのでやめました。

ちょっと後悔しています。
アテネと比較するとデルフィーの方が安い。そしてものが良さそう。
さいわい空港の免税店でクレタ島のタイムの蜂蜜が買えたので結果オーライだったのですが、瓶が重くてもやはりデルフィーで買っておけばよかったと思います。



お腹がすいてきたのでメインストリート(下から2番目の通り)のタベルナ「エピクロス」に。
ホテル・アクロポリと提携していて10%引きだったこともあって入ったのですが。
ここはおいしい!
お勧めです。
広いバルコニー席のいちばん崖側の席にすわりました。
眺望がすばらしい。


最初に出てきたパンには自家製の黒オリーブペーストが添えてある。写真を見て思い出したのですが、ここのパンはイタリアのガーリックトーストみたいにハーブ入りのオリーブオイルを塗って焼いてありました。

この黒オリーブペーストが絶品。


注文したのは、

サラダ、
トマトとピーマンの詰め物、
仔羊のレモンソース、
フリカッセ。

フリカッセ

フリカッセも仔羊料理です。
ホルタという苦みの強い野草があって、これを茹でてオリーブオイルとレモンを搾ったものがよくメニューにあるのですが、苦手な日本人多い。
K先生のツアーでも学生たちは
「また『草』が出てきた!」と敬遠してました。
フリカッセは、仔羊をそのホルタといっしょに煮込んだもの。
ホルタもこういう風に料理するとおいしい!


仔羊のレモンソース

デルフィー近辺は羊肉がおいしいので仔羊が2皿になってしまいましたが、
それぞれすばらしいと思いました。羊の臭みがまったくありません。

どちらも肉がホロホロと柔らかい。
(「エピクロス」には山羊の料理もあって1皿はそれにするかと迷ったのですが、家族のことを考えて仔羊にしました。次回来るときにはぜったいに山羊を食べたい!)

妻が希望したトマトとピーマンの詰め物もおいしかった。


昨日の「ビザンティーノ」のレッツィーナが娘に不評だったのでテーブルワインの赤を頼みました。
鼻に抜ける独特の強い香りがあって、芯の通った、でも重くないボディーの赤。
すばらしい。

ゆっくりと食事をする間に日は落ちてゆき、崖や谷間の表情が変わります。

隣のテーブルのドイツ人夫婦が「家族写真をとりましょう」と言ってくれて、
それをきっかけに少しおしゃべり。

ギリシアのあとははじめて日本に来る予定らしい。
こちらが「4泊5日の旅行だ」と言うと、
「それは大変なハードスケジュールだ」。
遠回しに「そんな短い旅行なんてありえない」とチクリと刺してる。
いや、悪気はないし、とてもいい人たちなんです。

でも若い頃、クレタ島で出会ったドイツ女性のことを思い出しました。


20数年前、1人旅でクレタ島のピツィディアという小さな村に泊まりました。
ハーヴァード大学の学生が作っている『レッツ・ゴー』という旅行案内(アメリカ版『地球の歩き方』)に、
「ピツィディアこそ『桃源郷』だ。ここにギリシアの村の神髄がある」
とあったので行ってみたのです。

ピツィディアはほんとに桃源郷でした。

泊まったのはホテルではなく貸部屋(というかたぶんホテルはなかったと思います)。
そこにたどり着くまでにちょっとしたドラマがあったのですがそれは別の機会にまわすとして。

美しく快適な部屋からベランダに出ると、隣の部屋のベランダとの仕切りがない。
ブーゲンビレアが咲くそのベランダで若い女性が本を読んでいて、
あいさつしたら世間話になりました。

「あなたは何泊するのか」と尋ねてきたので
「2泊だ」と答えると、そのドイツ人女性(コンピューター技師でした)、
信じられない。あなたはバカンスをなんだと思っているのか。
わたしはピツィディアにすでに2週間泊まっている。あと数日泊まる予定だ」。
「そのあいだ、なにをしているのだ」
「おいしい料理を食べ、こうやってきれいな景色をながめながら本を読んでいる。
それがバカンスじゃないのか」。

遺跡から遺跡へバスの時間を確かめながらかけずり回っている自分を省みて
「そうか。自分はほんとの旅行をしてないんだ」
と気がつきました。

バカンスは最低数週間かける。
それがヨーロッパの(わたしが出会った範囲ではドイツ人の)常識なんですね。
反省したわたしは予定を変更してピツィディアに4泊しました。
桃源郷で安くておいしい料理を食べ、ベランダで本を読み、ドイツ人女性とヒッチハイクで数キロ離れた海岸まで行って泳ぎました。
それでもドイツ人女性は最後までバカンスだと認めてくれませんでしたが。

そんなことを思い出しました。

グローバル・スタンダードからすると日本人の休暇は休暇になっていないのですね。


料理とワインと景色に満足し、
ドイツ人夫妻とも気持ちよく話して、ホテルに戻ります。

夕闇のベランダで妻とタバコを吸いながらのんびり。

やがて遠くイテアの町に灯りがともります。
さらに夜空には銀河!!

「デルフィーによこたふ天の川」です。

確か安東次男が書いていたと思うのですが。

「荒海や佐渡によこたふ天の川」(松尾芭蕉)
の「よこたふ」は本来他動詞なので「横たわる」ではなく「横たえる」だ。
「天の川が横たわっている」のではなくて
佐渡に向かって「天の川を横たえて」いる。
誰が?
あえてそれが言われないからこそ、
天の川を横たえるような、人間を超える巨大な力が暗示されるのだ。

そう安東次男は言っていたと思います。

そうだとするとこの句はデルフィーにもふさわしい。
人間を超える巨大な力(その具体的なあらわれが神託を告げる神アポロン)が横溢するデルフィーの地だから、「銀河が横たわっている」のではなく「銀河を横たえている」と言うべきなのかもしれません。

ドイツ人のようにここに数泊できればいいのですがそうもいきません。

明日は神アポロンの聖地デルポイの遺跡見学です。










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