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2015年12月10日木曜日

野坂昭如追悼

小鷹信光に続いてたて続けに追悼文を書くことになってしまった。

野坂昭如の小説についてはいずれ書くつもりでいました。
でもその前に逝ってしまった。

あわただしく、三つのことだけ書いておきます。


『エロ事師たち』(1966)、『骨餓身峠死人葛』(1969)、『真夜中のマリア』(1969) などの初期の小説が好きです。

いかがわしい世界といかがわしくない世界を自在に行き来する戯作調の文体。
それが野坂の大きな魅力です。
小説が「情報」では決してないことを野坂の文体はみごとに具現しています。
どのようにストーリー(それは「情報」です)を要約したって、上に挙げた小説の正体を伝えたことにはならない。
ストーリーを知る楽しみをだいなしにするというのが「ネタバレ」の罪であるとしたら、野坂の小説に「ネタバレ」の心配をする必要はないのです。
文体こそが野坂昭如の小説の本質だから。
逆に言うと、
ストーリーのすばらしさが小説だと思っている人には野坂の小説はわからない。


二つめは、
人間と世界をただひたすら「焼け跡」という視点から見続けた強靱さです。

『平凡パンチ』『週刊プレイボーイ』のどっちだったかうろ覚えなのですが、
テレビに出はじめて有名になった野坂昭如がインタビューに答えて、

《娘に海外旅行をさせた。きれいな街だとか遺跡だとかを見せておくのはとても大事だと思う。いつか娘がわたしと同じように空襲に遭って焼け跡で死にかけたとき、「ああ、わたしはあんなきれいなところに行ったことがあるな」と思い出せることは救いになると思うから》

というような内容のことを語っていました。

きれいな街や遺跡を悲惨な死に際に思い浮かべる。
野坂は、そんなちっぽけだけれど祈りのような文化の力を述べているんだと思いました。
迫力に満ちた忘れられない発言です。

「いつかわたしは焼け跡に放り出される」
野坂昭如は最後までそういう視点から政治や経済を語り続けました。



野坂の「焼け跡」で大事なことは、
決して被害者の視点で焼け跡を見てはいなかったことだと思います。

『一九四五・夏・神戸』(1976)。
神戸大空襲にいたるまでの市民たちの生活を描いた名作です。

初期作品の戯作調はなりを潜めて、
子供の進学のことや、近所の噂話に明け暮れるごくふつうの市民たちがリアルに描かれます。

中公文庫版の歴史家・色川大吉の解説は、
《そういう無辜の市民たちが、最後の大空襲で猛火の中で死んでゆくのである》
という内容のことを書いていたと思います(今手元に本がないので記憶からですが)。

つまり色川大吉は、罪もない人々が爆撃された悲惨さを描く小説である、と受け取っているのですが。

わたしにはそうは思えない。

カタストロフィ(破滅)に向かって行進しながら、
そのことに気づかず、些細な日常のみにかかずらわっている善良な人々。
そういう人々のあり方こそがカタストロフィを生み出した原因なんじゃないか。
彼らは被害者であると同時に、無自覚な加害者でもある。
それが『一九四五・夏・神戸』にわたしが読み取ったものです。

悪意のない人々が生み出した悲惨。

野坂の「焼け跡」とはそういうものだったと思います。
だから野坂は野坂なりに焼け跡の責任をとろうとした。
政治を語り、原発を語り、農業を語り、経済を語った。
そして夢は語らなかった。

夢の意味など吹き飛ばしてしまう凄惨な焼け跡の光景だけが野坂昭如にとってリアルなものだったからだと思います。
そこから世界の全体像を構築していった。

知性のりっぱなあり方だと思います。


もう焼け跡の心配がない世界で安らかに眠ってください。


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