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2017年4月24日月曜日

熊本

教え子の結婚式に招待されて熊本に行ってきました。
熊本は何十年かぶり。
観光もしたかったのですが時間の余裕がなく、
前日の夜、式に参列する別の教え子と熊本市内で待ち合わせて飲んだだけ。

「前川水軍」という居酒屋。
馬刺し3点盛りを頼んだら、赤身、バラととともに脂身が出てきた。
写真のように脂身100%の真っ白なやつです。


イタリアはフィレンツェっ子が大好きな「ラルド」という生ハムがあります。
脂身100%の真っ白なやつ。
これをパニーニにのっけてバーナーであぶってとろとろに溶けかけたのに黒オリーブのソースとかをかけてもらったがなかなかのものでした。

イタリアから数千キロ隔てた熊本の馬刺しの脂身、これと同じだなと思いました。

ネットで調べていた限りでは
「馬刺しは熊本の醤油で食べるのがうまい」と書いてあるものが複数あるのですが、
同じ九州の福岡出身のわたし、実は九州の甘い醤油が好きではない。
博多の魚はそれはそれは新鮮でおいしいのですが、九州の醤油がかかってるとダメ。
「九州のじゃない醤油にしてください」
と頼みます。
(だけれどキッコーマン系も苦手です。
わたしの好みは香川県の醤油)

「前川水軍」の馬刺しも、甘い醤油がついてきたらどうしようと危惧してましたが、
テーブルには熊本醤油とともにふつうの醤油も置いてあった。
ありがたい!

脂身、おいしかった。しつこくない。
その点はフィレンツェのラルドと同じ。

だけれどこの店で何より驚いたのは酒の出し方。

熊本に来たんだから焼酎だな、と思ってメニューを走り読みすると
ジョッキしかない。

でジョッキを頼もうとしてふと思いついて
「ひょっとしてこれ何かで割ってあります?」
と尋ねると、店員は「はい」。

「ストレートで飲みたいんだけど」
というと「できますよ」と即答。

で、来たのは。
ジョッキになみなみと注がれたストレートの焼酎

ふつうグラスで出てくるでしょ?

うへーーーーっと思ったのですが、
教え子としゃべりながらいろいろ食べてるうちに全部飲んでしまった。

勘定を済ませる時に、
「焼酎のストレートがジョッキで出てきたのに驚きました」
と言うと、店員さんすました顔で
「ええ、うちは何でもジョッキなんです」。

さすが「水軍」の名に恥じない心意気。
海賊魂です。



教え子もわたしもホテルは式場に近い肥後大津(ひごおおづ)。
ほんとに小さな田舎の駅です。


Sligo店内
わたしは飲み足りなかったので教え子と別れて
ホテル近くの「Sligo(スライゴー)」というイングリッシュ・パブを見つけて入りました。


ムール貝の浜蒸し


田舎町なのに、意外にイングリッシュ。
遅い時間だけどそこそこ繁盛してます。
ムール貝の浜蒸しをつまみに
ボウモアのダブルと焼酎。
値段はもちろん高くない。いい店です。

これでようやくベロベロに。

ホテルで温泉に入って部屋で一服。あとは爆睡。



緑に囲まれた屋外の式場
翌日の結婚式は阿蘇の自然に囲まれた教会。

披露宴にはジャズトリオがいて、
新婦のお父様がそれをバックに、娘を祝福するためにジャズの「When You Smile」をかっこよく歌った。
新郎新婦のスピーチも胸にしみるものでした。

同じテーブルの教え子たちとも久しぶりにいろんな話をした。


前菜
牛蒡とジャガイモのポタージュ
フランス料理のコースもきちんとしていた。
地場野菜を使った前菜もおいしかったけれど、
「牛蒡とジャガイモのポタージュ」
が絶品でした。

いい式だった。


赤ら顔で空港に向かい帰京。

2017年1月11日水曜日

追悼文の鑑 (かがみ)


亡くなった新派の女形、英太郎(はなぶさたろう)の追悼文を水谷八重子が書いている(毎日新聞 2017/1/9 の朝刊)。

英太郎は全く知らなかった。
だけれども。
水谷八重子の追悼文は、
わたしのようにまったく知らない人間にも英太郎の人となりを明確に伝えていて、
同時に、多くの時間を共有した仲間の死への切々たる思いを
感情過多になることなくあらわす名文だ。

英太郎の「不思議な」人柄を、東京オリンピックの時に喫茶店でマラソンのアベベ選手と知り合ったエピソードから語り始める。

「[アベベ選手と]仲良くなったと言っていたが、何する人かあんまりよくは知らないようだった。『なんだか雰囲気の良い人だった』と言っていたようにしか覚えていないけれど・・・・・・。」

英太郎の「不思議」を一発でわからせるエピソードの選択。

それだけじゃない。
水谷八重子は「1964年の」東京オリンピックと書いている。
年配の人間にとって東京オリンピックは共有されたイベント。
しかしそれを知らない若い人だっている。
「1964年の」にあらゆる人に情報をきちんと伝えようとする配慮がある。


英太郎の「芸」もきちんと伝える。

「決して器用な人ではなかった。負けん気の強い彼は、その苦労を決して人に見せなかった」と一般的な評をしたあとで、具体的な例をいきいきと描く。


水谷自身が演出をした『海神別荘』で女房役を演じた英太郎が忘れられない、
そう書く。

どうして忘れられないのか。

「喜多郎の音楽に乗ってのせりふが歌舞伎の女形さんのようになる。違う違うこれは、この世の者ではないんだから、夢みたいにしゃべってよ。素人演出家[水谷自身]はうるさく言った」

「違う違うこれは、この世の・・・」の文の描出話法(「」をつけない語り)が効いている。
『海神別荘』がどういう世界のお芝居なのかをこの文だけで伝える。
そして「器用な人ではなかった」英が水谷の注文にどう答えたかも。

「英さんはソフトな夢のようなファルセットのまま全てのせりふをうたった。喜多郎の音楽を従えて」

英太郎の舞台をどうしても見たくなる。

結びは、
「下げ髪で小袿(こうちぎ)の褄(つま)をはしょって市女笠と蓮華灯籠を持って、喜多郎の音とともに旅立って逝く二代目・英太郎、大久保ちゃんの姿が恋しい」

実際に見ていない読者にも、英太郎の美しい姿が目に浮かぶ。
そして水谷八重子の胸を引き裂かれるような悲しみも。

水谷八重子は70代後半。
この年代になると、追悼は思いの表白が強くなりがちだと想像する。

しかし水谷は「亡き人の情報を読者にきちんと伝える」という追悼文のもうひとつの役割をきちんと意識している。年寄りにはなかなかできない技。

追悼文の鑑(かがみ)だと思いました。


英太郎が亡くなったのが去年の11月11日だとわかるといっそう感慨深い。
追悼文にかかりっきりではなかったにせよ、おそらく水谷八重子は、老いの衰えゆく体力を振り絞ってほぼふた月かけてこの文を書いたのだろう。



この日の毎日新聞朝刊はいい文章が多かった。

壇蜜のインタビュー。
高橋源一郎の人生相談。

興味が出た人は読んでみてください。