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2018年3月29日木曜日

アルデンテとバリ——麺の硬さについて


なぜそんなに麺の固さにこだわるんだ?
昨今の(正確にはこの十数年の)固さへのこだわりは常軌を逸しているように思えます。


パスタのアルデンテ。
新潮文庫版
2005

一般の日本人が「アルデンテ」ということばを知ったのは、
伊丹十三『女たちよ!』(文藝春秋 1968) からです。
大ベストセラーでした。

なにしろスパゲッティと言えばマ・マーくらいしか手に入らなくて、
喫茶店のうどんのようなナポリタンが「スパゲッティ」のイメージだった時代です。
(「パスタ」という言い方はまだ一般的ではありませんでした)
伊丹十三が紹介したアルデンテは、それはそれは衝撃的でした。

わが家でも『女たちよ!』のスパゲッティを作りました。
アルデンテに茹でた麺をバターと塩だけで食べる。
アルデンテの麺のおいしさを知るにはまずこの食べ方だ、と伊丹十三は書いていました。
カルチャーショック。
父親の感想は「うーーん、うまい。うまいけどしつこいな」だったと記憶しています。

『女たちよ!』以後、うどんのようなブニョブニョのスパゲッティは少なくなった。
喜ばしいことです。
伊丹十三の功績はおおいに強調すべきだと思います。

だけれども。
昨今の日本のイタリアンのパスタは固すぎる
ゴリゴリしていることさえある。
高級な店にこの傾向は強い。
行き過ぎです。

イタリアで食べたパスタは概しておいしかった。
そして固くありませんでした。

茹であがりの時点では中心に歯ごたえが残っている(「アル・デンテ」は文字通り「歯ごたえ」の意味です)。
その麺をソースに加えてオリーブオイルをかけ足しながらけっこうな時間あおる。
そうやってソースをパスタに食い込ませる。
皿に盛った時点でゴリゴリ感はなくなり、ほどよい固さになっています。

イタリアで修行してたことがあるらしい吉祥寺『ヴァ・ベーネ』の大将が作るパスタは、
そんな感じでおいしい。
「日本人の料理人はアルデンテにこだわりすぎなんですよ」
そう彼は言ってました。

うどんみたいなブヨブヨは論外だけれど、ゴリゴリのパスタもごめんです。
ソースとの一体感がない。


で、博多ラーメンの「バリ」

固めの茹で方ですね。
さらに固めに、バリバリ→針金→粉落とし などという恐ろしいネーミングが続きます。

どうかと思います。

まず、火が通りきっていない練った小麦粉は体に悪い。
ま、体に悪いものをあえて食べるのは個人の自由としましょう。

でも長浜ラーメンに「バリ」という言い方は元来ありませんでした。

わたしの実家は長浜まで歩いて行ける距離です。
大学から東京に来ているとは言え、帰京したときには長浜に行く。
高校生のときから50年近く長浜ラーメンを食べてます。

長浜ラーメンの発祥については諸説あるようですが、
元祖だとされるひとり、「元祖長浜屋」の榊原松雄氏は、
名古屋から福岡に移ってきてトンコツラーメンの屋台を始めた当初は売れなかった。
麺が太かったからです。
長浜の魚市場の人間や船員はいそいでかき込まなくてはならない。
それで麺を細くして茹で時間を短縮した。
元祖が榊原松雄でないとしても、博多ラーメンの麺が細い理由はそれです。

つまりは、
長浜ラーメンの麺はふつうに茹でてちょうどよい固さの麺なのです。

固めが好みの人はもちろんいて構わない。
そういう人は、たとえば長浜入口の「博龍軒」とかでは、
ドアを開けて入った瞬間に「固め三つ !!!」とか声をかける。
ふつうの固さのでさえテーブルに座った直後に出てくるから、
そうしないと間に合わないのです。

すばやく茹で上がるように作られているのが博多ラーメンの麺。

わたしが若いころは
「兄ちゃん、固かとね? 柔らかかとね?」
と聞かれはしましたが「バリ」などということばはありませんでした。
「バリバリ」、ましてや「粉落とし」などという愚かしいことばも。

パスタと同じで、ラーメンも麺とスープの絡み合いが命だと思います。
「針金」や「粉落とし」では麺がスープに絡まない。

「固い麺を注文するのが通」みたいな風潮は、
博多ラーメンが東京に進出して以後、
話題づくりのためにいくつかの店がでっち上げたものでしょう。

体に悪いうまくもない半生の麺を食べて何が楽しいのだろう。



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